種から苗をつくります。


by 太郎さん(太郎ちゃん)
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<   2006年 07月 ( 10 )   > この月の画像一覧

    
   ー 環境調査ー
  おかやまコープ美作本部主催、運営委員会、環境実行委員会が取り組んで今年もみじかな環境の調査を8月にします。内容は、1)酸性雨 2)大気汚染測定 3)河川の水質調査です。集約は8月25日です。夏休み中の調査ですので子供といつしょに取り組んでください。岡山県、国土交通省の検査の数値も近くにありますので比較してみてください。
 
   ー環境学習ー

 みじかな環境と地球温暖化問題、省エネ、CO2削減問題などを暮らしのなかで楽しくとりくみを進めるために学習会を開催します。コープの会員で無い方は、この際是非、加入してください。今回は、大変楽しい実演があります。

 1、日 時   9月 20日 (水)  10:00~12:00

 2、会 場   津山市 コープ院庄 (2階 ホール)

 3、内 容   
        1) 地球温暖化にストツプ!災害と森の再生。        
                      環境カウンセラー    浦島 文男

        2) 「もつたいない!」-フロシキで楽しいおしゃれはいかが
             岡山県地球温暖化防止活動推進員   大口 良子

  参加希望者は、コープ院庄店 サービスカウンターで受け付けます。定員は50人です。

  ( 問い合わせは) おかやまコープ美作地域本部

        電話 0868-57-3153
               
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by urashima77 | 2006-07-18 17:53

  岡山商大付属高校小山實先生から要請をうけた広葉樹の苗樹は胡桃、アラカシ、イチョウ、クヌギ、、、などをセツトにしておくります。
 7.22津山市下高倉での「保育のつどい」、倒木災害視察のつどいに玉野市市議宇野俊市さんが応援に来てくださいますので、帰り便で苗樹を持参していただきます。落葉樹もありますので秋には葉がおちます。くるみ、いちょうは落葉樹です。秋にでも、植える床を作り植樹をしてください。愛情をかけて管理してくだされば大丈夫でしょう。私は今は毎日水をあたえています。
 商大付属高校で、生徒に愛されて千年の森に成長するよう祈念しています。水の管理はよろしくおねがいします。我が家の苗樹をおくります。昨年タネを植え付けたものは今10万本ほどが元気な苗樹となつてきています。毎朝3時間ほど植え替えをしています。この雨が救いです。倒木災害地への出番をまつているところです。
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by urashima77 | 2006-07-18 17:12
 熱い、夏を体験したい方。海水浴を楽しみたい方。産廃現場、施設,北海岸をたのしみたいかた。とんがり山の登山をしたいひと、、いましたらご案内をします。かつてに来てください!わたくしの携帯(090-4896-7930)に何度か電話をしてください。
 私は、29日、朝5:25宇野港ー6:05家浦港へフエリーにのる予定です。(フエリーは、6:45,8.35,11:10,13:45、、、とあります。)みなとから徒歩でグリーンハウスに行きます。昨年の秋に植えた広葉樹のタネは苗樹となり、暑さでダウンしているのか?元気なものはポツトに植え替え作業をします。(田村さん、塩飽さん、宇野さんほかのなかまと植え込んだタネでした。)これまで元気に生きた苗樹はゆうの浜へ植樹しています。
 環瀬戸内海会議のみなさまがきましたら、未来の森でオリーブの森の下草刈りをします。28,29,30の3日間は「島の学校」がかいさいされています。30日はシンポジュームが開催されますので30日は参加します。合わせて29日は公園の草刈と清掃をします。数年前に環瀬戸内海会議からボランテイアでの取り組みを要請されて取り組んできました。わたくしのホームページで呼びかけていました。
 7月30日は、島の学校のなかで豊島楽(学)会が設立されます、若いひとがこれからはがんばつてくださいます。島つくりー大きな課題があります。甘い考えでは島の再生はできません。外部の人でなくて島に住む人が頑張らねばだめです!熱意のある人は、島に住み、島の人となり行動を起して、エネルギーをだしてください。島には産業、漁業、加工工場、農業ー多様なの展開が必要で緊急です。過疎の島を乗り越えてください!
 そんな想いで見つめています。豊島楽会は、、、!?
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by urashima77 | 2006-07-17 11:16
 岡山県環境政策課の環境エコツアーAコースに本年も参加します。
  2006年7月23日(日)岡山駅西口から7:50出発します。宇野港からは海上タクシーで回りますが、、、本日7月17日朝5:30のニュースで豊島の曽根海上タクシーの曽根さんが事故で亡くなりました。(NHKニュース).交流センターで学習をします。バスにて廃棄物、施設を視察して、交流センターにて昼食をとり、海上タクシにて直島宮之浦港にはいります。直島では、直島環境センター(豊島産業廃棄物等中間処理施設)、三菱マテリアル有価金属リサイクル施設を視察します。
 帰りは、直島宮之浦港からフエリーにて宇野港(16:40)-岡山駅(17:45)着。豊島、直島では友人にあえることが楽しみです。また、広葉樹の苗樹(グリーンハウス、ゆうの浜植樹地、未来の森、直島岡田さん)や環境センター、交流センターでの交流も楽しみです。今回の事業は(株)ベネツセコーポレーションが委託されてのものです。
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by urashima77 | 2006-07-17 10:18
昨日、ブログが夏風邪で寝込みましたので、、本日書き込みます。連日の猛暑は季節の異変でしょうか。40度ちかい猛暑が続きます。昨日は、美咲町柵原エイコンパーク野球場で甲子園への岡山県予選試合がかいしされていました。熱中性でダウンするようなあつさでした。応援団も選手もがんばつていました。わたくしも応援団長、生徒会長をしていた高校生のときをおもいだしました。48年も前のことです。
 さて、猛暑の中で柵原「保育のつどい」が開催されました。

  10:00   開会の挨拶    美作県民局森林課長 吉岡 哲也 さん

          歓迎の挨拶    美咲町産業建設課長 赤堀 達男 さん

        オリエンテーション 美作県民局 森林課長 安東 孝次 さん

   おかやま森づくり協力隊認定証伝達   美咲町 丸山 実 さんが認定されました

   10:30  2班にわかれて 30人ほどで作業をしました。甲子園大会の県予選が戦われている横での作業でしたが、暑さよりも、若さと元気をいただきました。熱中性がしんぱいでしたが、、、無事におわれました。蜂も出ましたし、暑さ対策がひつようです。この日は、私も2本お茶を持参しました。さらに1本いただきましたが、、不足ぐらいでした。作業は11:30無事に終えれました。エコネツトワーク津山の松本庸夫さん5人ほどでさんかしました。
  7月22日、森の育て親の保育にご参加の皆様、暑さ対策をしてください。作業は30分程度でおわるよていですが暑さにはみんなが注意をしましょう。             (浦島 文男)
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by urashima77 | 2006-07-16 10:41
 
  災害に強い「森の再生」で、地球温暖ストツプ!

 6月28日、美作県民局協働推進班へ、岡山県地球温暖化防止活動推進員「千年の森つくり」グループ、美作協議会は一昨年の台風23号での倒木災害の克服再生を実現するために協働の提案をだしました。
 7月10日、朝9:00~12:00の審査委員会へのプレゼンテーションに美作協議会藤本晴男会長、玉木正夫副会長、浦島文男事務局長(千年の森つくりグループ代表)の3人が説明会にさんかしました。今回は、13件の提案が出されています。9団体です。
 千年の森つくりグループ、特定非営利活動法人みる、遊ぶ、育つ津山子ども広場、津山ボランテイアガイド連絡会、特定非営利活動法人おかやま犯罪者サポートフアミリーズ、岡山県学童保育連絡協議会、津山コミニテイーFM研究会、特定非営利活動法人津山市消費生活モニター連絡会、特定非営利活動法人さんかくナビ津山支部DV防止 被害者支援ERネツト、エコネツトワーク津山(5件堤出)がさんかしました。

 苗樹の育成と、植樹の提案をしています

 美咲町では、広葉樹の苗樹センターとしての役割を果たしています。日々、あさ5時すぎから7時まで苗樹を、プランターから15センチのポツトへ植え替えをしています。苗樹は数万も有りますが、がんばつています。今回の提案は、美作県民局管内の10市町村にそれぞれ1校を選んで、モデル校として、広葉樹の苗樹つくりを指導参加型で行うものです。まず、タネの採取をしていただき (主要なものはわれらが採取します)タネの植え付け、管理をしどうします。県、市町村、教育委員会、学校、先生、生徒とそれぞれが協働の役割の分担をします。
 植樹は、早いもので事業ができるところにはボランテイアで支援をしてゆきます。
 推進員の皆様、そのほか各種団体、個人のみなさま!
今年は、タネ20万粒以上の採取、各市町村でのイベントがきまりましたら友人、ご近所おさそいくださり多数ご参加ください。昨年も20万粒以上集めています。
 プレゼンテーションには旧振興局にあたる現在の支局長も参加されていました。県下100人の推進員の皆様へ、、、イベントの時には是非ともご支援ください。県下各地区でも千年の森つくりを推進しましょう。

 7.22 「森の育て親」(津山市下高倉)に多数のご参加と交流にご参加を!

 3月11日、みなさんと植樹した苗樹は元気にせいちょうしています。津山では美作大学のボランテイアグループの大学生(女子)多数参加されます。ぜひ多くのみなさまのご参加をお待ちしています。昼からは横野の滝で(茶店)で、ソーメン流しを楽しみましょう。上横野倒木災害地の視察学習をします。終了後には、、帰り道には湯郷温泉で足湯?を楽しんでください。
 下高倉、朝10時集合です。
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by urashima77 | 2006-07-11 10:10
  1868年、明治元年から本年(2006年)で138年が過ぎようとしています。江戸時代は各藩がそれぞれに土木技術を駆使して治山、治水をしてきました。国として大規模な対策を考えるのは1885年、明治18年12月、伊藤博文首相が初代総理大臣となつてからです。わが国の国内交通の手段として河川を中心にしました。オランダの技師デレーケの底水工事で大阪淀川の治水工事をしました。しかし、明治18年淀川大洪水がおきて31の橋、数万の家が被災され、293人が死亡しました。明治29年には高水工事に変更され改修工事が始まりました。

    海からの「洪水」

 海岸にはこれまではあまり住居がありませんでしたが、海岸にも居住するひとが増えました。また、河川近くにも多くの人が暮らすようになりました。
 この間の内外の出来事をみてみます。

  1894年(明治27年)-95年   日清戦争
  1894年               日韓協約
  1904年(明治37年)       日露戦争
  1905年(明治38年)       ポーツマス条約
  1907年(明治40年)       日露協約、新庄村に凱旋桜植える
  1914年(大正 3年 )      第1次世界大戦参戦
  1915年(大正 4年 )      対華21ケ条要求堤出
  1917年(大正 6年 )      三菱マテリアル直島精錬所開設
  1918年(大正 7年 )      米 騒動  シベリア出兵
  1922年(大正11年)       日本共産党、水平社創立
  1931年(昭和 6年 )      満州事変
  1937年(昭和12年)       日,独、伊三国防共協定
  1940年(昭和15年)       三国 軍事同盟
  1941年(昭和16年)       太平洋戦争突入

  この間には、大久保利通があさか疎水事業で猪苗代湖からの疎水で耕地面積1.2倍、収穫2倍をなしとげています。しかし、昭和6年から9年へ東北地方の冷害、昭和8年の三陸大津波がおきて農村は疲弊し、人身売買が行われていました。一方、満州への集団移住がおこなわれていました。
 気象観測は、気象学者、農学者の研究も進み、海洋気象観測船も観測をはじめました。

   1934年(昭和9年)9.20~21日  室戸台風    死者 3066人

 気圧911.9ミリバール,風速60メイトルを記録、高潮は10分で2メイトル上昇。朝の登校時間とぶつかり小,中学校の校舎の倒壊、列車の倒壊,五重塔の倒壊、工場地帯が壊滅。死者3066人。
 岡山県では、美作地域で大災害となりました。湯原、蒜山で400ミリの降雨、川上郡、真庭郡は70%壊滅。旭川流域,吉井川は津山市今津屋橋が濁流にながされました。岡山市内は全域が大洪水となりました。

   1941年(昭和16年)~1945年(昭和20年)   太平洋戦争

 戦争中は、気象予報は秘密事項として、新聞からきえました。戦争中には、突然台風が来て、多くの災害がおきています。昭和18年月3にも大きな台風が来ておおくのひがいがでています。

   1945年(昭和20年)9月17日,  枕崎台風     死者 3756人

 日本が、敗戦を迎えて、間もなく鹿児島へ枕崎台風が上陸しました。特に原爆の投下被害がおおきかつた広島では被災100000世帯、不明は広島だけだ2012人もでました。これが、再開された天気予報の最初の予報でした。有明干拓地は海岸堤防が随所でけつかいしました。

   1947年(昭和22年)、9月15日、  カスリン台風  死者1930人

 秋の稲刈りの直前、700ミリの降雨。利根川は400メートルにわたり堤防がけつかいし那珂川では激流で国鉄も線路が流されました。1930人もの死者を出しました。各地で河川の堤防が流されました。
   1948年(昭和23年)      アイオン台風
   1949年(昭和24年)      べ ラ  台風   キテイ台風

  1950年(昭和25年) 朝鮮戦争はじまる

    1950年(昭和25年)     ジェーン 台風 (大阪に被害)
    
 大阪岸和田地区で大きな被害。昭和26年、全国で堤防工事、山野へ植樹がおこなわれる。

  1952年(昭和27年) 多目的ダム総合開発が進む。昭和30年、佐久間ダム東京では小河内ダムができる。

  1953年(昭和28年)2月1日から、ラジオで天気予報が開始

 天気予報が始まり、台風の予報、災害対策で大いに役立ち水害対策、避難体制、が進んだ。また、農作業の効果がアツプし、昭和30年代には米7400万石と、30年代は大豊作が続く。
 また、昭和33年には北九州工業地帯、全国で二酸化炭素、co2の大量廃出で喘息などの公害病が各地で起きた。高度成長期でした。

   1957年(昭和32年)7月25~28日、 西九州水害    

 700ミリを超える降雨で、大村、諫早地区が洪水に見舞われました。

   1959年(昭和34年)   台風14号      死者、不明   600人

  台風の観測に、横田基地から航空隊が太平洋までゆき台風の目を発見しました.海上保安庁は、観測船で海からのデータを送りました。また、電子計算機が採用されて機能が飛躍的にアツプされました。

   1959年(昭和34年)9月26~27日  伊勢湾台風    死亡 5041人

 風速46メートル、河川の氾濫、海岸は高潮で半田市(愛知県)は壊滅的な被害。木曽川,長良川の合流地区で氾濫、、、、5041人が死亡。海岸堤防が各地で崩壊。泥海となる。
 昭和35年には、工業の地下水の使用で、地盤の沈下が各地でおきる。一方、利根川では治水用に八木沢ダムが完成しました。

  昭和 38年、豪雪!ー過疎地が崩壊,離村へ!

 1月16日~27日北陸、上信越、方面と日本海、中国山地に記録的な豪雨に見舞われました。来る日も雪の連続で国鉄もマヒしました。この雪で浜坂では雪崩で犠牲者が出ました。春には各地で洪水に見舞われました。政府も河野本部長をたてて対策にあたりました。
 都市への、人口の集中による宅地開発は水不足と共に、急斜面での開発をもたらして大雨により土砂の崩壊、崩落をもたらしています。昭和40年代は各地で災害が起きだしています。
 
  ローマクラブの警告!-1972年(昭和47年)

 今日の化石燃料の激しい消化によるco2の異常な廃出、開発、公害、健康被害などで人類は重大な危機を向かえているとの警告をだしました。
 昭和52年、ひまわり気象衛星(静止)を打ち上げました。予報が飛躍的な前進をもたらしました。都市では、都市災害として地下道への水の流入被害、東京神田川での平成5年8月27日台風11号の集中豪雨での洪水がおきています。東京都では、降雨情報システム「東京アメツシュ500」を東京都の作り、港区,多摩地区のレーダーにて降雨の情報を集約しています。
 平成10年8月11日、那珂川が集中豪雨で氾濫しました。昭和13,16,22年の豪雨の水害に比べると急に水が増え、速度が早くなつてきています。
 また、名古屋地区では、平成12年9月11日東海集中豪雨で中小河川が氾濫し,56000戸被災しました。

  気象予報体制の前進!

 現在は、人工衛星、100箇所の側行所、1300箇所のアメダス観測所。世界中の情報システム、数値解析予報システム。などのより短期,週,月、季節、年間と予報が出来ます。エリアも世界規模までもできます。

  京都議定書の警鐘!

平成9年、京都にて世界の国が集まり、地球温暖化防止をとめる目漂をきめました。国別の活動の目標をきめています。
 今、世界中でおきている異常気象の状況は,解決して克服できるのでしょうか。アメリカの努力が決めてです。また、中国、韓国、北朝鮮などは危険です。日本は、責任を果たす気概が不足しています。温暖化の進行が、異常にかんじられます。

  台風、倒木災害、洪水の「前兆」!

 一昨年、2004年の台風16,18号は岡山、中国地区を襲い、高潮被害で瀬戸内海の小豆島、豊島、直島などで潮位が1メイトルほど上がり、床上浸水、農業被害が大規模に起きました。沿岸の高松、倉敷、岡山、玉野市、などでは床上浸水で家屋、車、工場の機械がしようできなくなりました。
 23号台風は、県北部へ被害をもたらしました。風速52メイターという恐るべき暴風がきました。一夜にして、5400ヘクタールの面積の森林が壊滅し、65億円の倒木被害がおきました。
 また、昨年2005年には台風14号では、23号台風での倒木被害が二,三次災害へと拡大してきています。今後は、土石流などで大規模な洪水がおきてきそうです。倒木で樹の根がおきており、水が裏に回り崩落を起しています。
 今、台風3号が日本に近づいています。梅雨前線を刺激して、大きな災害となりそうです。予測を超える事態には、避難が最大のたいさくです。道路が通行できねば、自動車もきけんです。対策は、ありません。間に合いません。ながいめで森の再生、防災工事をしてゆきましょう。
  若い皆様、高齢者のみなさま、生命を生み出して、苗樹を育成し、山に植樹しましょう。千年の森を造りましょう。今10万の広葉樹のタネを植えて苗樹の育成を楽しんでいます。多くの同輩をぼしゅうしています。元気に頑張りましょう。
 皆様の、ご健勝を祈念しています。      (浦島 文男)
                             
 


   
      
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by urashima77 | 2006-07-08 13:27
 7月2日あさ4時すぎから大変な豪雨がつづきました。この日、岡山市津島の労働福祉事業会館ホールで開催される研修参加のために7時すぎに家をでました。
 実践する人がどんどん増えるプランづくり~省エネ活動を広めたい人のために~この呼びかけが私をとらえました。
 対話術の極意。交流ワークショツプ。地域の人と共に生討論。実践者続出のプランづくり。これが内容でした。主催は経済産業省中国経済産業局。共催は、環境省中国四国地方環境事務所、岡山県地球温暖化防止活動推進センター.後援、岡山県省エネルギーセンターでした。
 岡山大学環境学部の大学院の学生などが多数参加し、グループの司会、書記を担当してくださいました。参加者は温暖化防止活動、省エネルギー活動、さらに岡山市内の地区の区長、小,中学校の校長先生などが参加してくださり多くの示唆がありました。
 岡山県地球温暖化防止活動推進員が多く参加していました。新推進員も参加していました。おかやか環境ネツトワークの団体で活動されている仲間、中国各地省エネルギー活動、実践している取り組みを出し合い、地域でいかに拡大してゆくのかをだしあいました。住民の立場からもおおくのいけんがだされました。本音で討論ができました。この日の参加者は自分が取り組んでいる課題の推進の為に頑張る仲間が来ていました。熱い討論が出来ました。
 岡山県北での一昨年の台風23号での倒木災害、再生へ千年の森つくりを進めたいです。
 地球温暖化は日々すすんでいます。われらの取り組みは間に合うのでしょうか!
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by urashima77 | 2006-07-04 00:49
 6月環境月間でした。29,30日はおかやまNPOセンターで倒木災害、土砂の崩壊、森の再生への取り組みの紹介の写真の展示をしました。7月1日は、雨が続く国道313号などの災害状況を1日みてきました。災害の後の対策で5箇所ほど、法面の防災工事がすすめられていました。工事信号は停止が3分もあります。工事の現場はすでに土石が崩落した所ですが、信号で車がとめられる所はいつ災害がおきるか、、、の危険箇所でした。ガードマンも居ません。土砂が崩落すると大変危険なじょうたいです。現場の安全管理も大いに危険が予測されます。現場管理者(代理人)も見えません。日曜日など、作業の休みには現場のパトロールを配置すべきです。危機管理の体制も、意識も足りません。業者だけでなく、工事の発注者は把握して指導をしてほしいです。観光客は知らずに事故にあわないように注意してあげてください。また、作業者もどこも土砂の崩落の危険がありますので車は安全なところに駐車しましょう。休憩、食事の場所も注意してください。安全作業を祈念します。
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by urashima77 | 2006-07-02 06:15

 朝、4:00まえに赤平市のホームページを見ると、すでに町が明るく見れます。いつでもふるさとがみれますよ。みなさまはごぞんじですか。岡山県とはずいぶん違いますね。毎日、学校へゆくのが楽しみですか。わたくしは住友中学校の卒業生です。住友炭鉱で育ちました。日本が戦争に負けた昭和20年に夕張炭鉱から、赤平住友炭鉱にゆきました。やがて朝鮮戦争がはじまりました。炭鉱は連日、ストライキで放送塔は、、、革命歌が大音響でながれていました。ロツクアウトで山の施設には立ち入り禁止が出されていました。わたくしたち悪童は、犬のごとく、、、どこにでもはいりました。まさにてんごくでした。怪我や事故も起こしました。トロツコで遊びました。山深く入り、フキ、うど、よめなや、福寿草などを採取しました。小学生の5年生頃までは生きることで大変な時代でした。悪童でした!しかし、6年生のときに最後の参観日に父は初めて学校へゆきました。いつもは謝ることばかりでしたのに「この子は遣ればできる!」といわれたそうです。悪の頂点で君臨していたのに、、、父は、嬉かつたのでしょう。その様子を見てから、私の生活は360度変化しだしました。
 みなさんも、どこかでその時があるのです。住友中学へと進んで、藤田先生に1年のとき学びました。とても恐怖の先生と聞いていました.悪がきでしたので、この恐怖に負けじと勉強をしました。社会の先生でしたのでわたくしは社会ばかり勉強をしました。しかし、先生は社会以外の勉強もしなさい!といわれました。先生の部屋に行くと、優等生が大勢居ました。これはなんだ!と驚きました。私に、この世界を見せたのです。高校さえも考えれない暮らしの自分に、先生は刺激を、衝撃を与えたのです。みんな大学をめざす秀才でしたし、炭鉱の職員(職制)のこどもたちでした。喧嘩と暴力がつよくてもあかん!と、先生はさとらせたのでしょう。私は、仲間にも悪をきんししました。ゆうことを聞かずにあばれるものは呼びつけて殴りつけました。自分はそのご、、、赤平高校をでるまで毎日8~10時間は、裏部屋で密かに勉強をつづけました。高校では、ついよそ道にはいりました。応援団の暴力的な態度に憤慨して、生徒会の副会長、生徒会長になりました。暴力事件で解散される応援団を身請けして再建し、おうえんだんちょうもしました。国立をめざしていましたが、父がたおれて、、、。自活して大学へ行くしかなくなり、働きつつも生活の基盤を作り、暇暇に勉強をしてゆくことにしました。集団就職がまだあるじだいでした。
 昭和35年、朝5時すぎ、、、気温は零下25度いかの冷え込み、吹雪のなか、住友の元町から歩いて駅に向かいました。駅には赤く燃えるストーブがありました。石炭はこの日は隗炭のようで火力がずいぶんつよかつたですよ。釧路を夕方出たマりモ急行寝台にのりこみました。まだくらかつたですよ。
 ふるさとを捨てたのでなく、この炭鉱の事態の解決には日本の政治を変えなければいけない!その信念で、覚悟を決めて汽車に乗りました。父母、おじいさん、弟とのわかれでした。
 いつの日にか、大学生活、アルバイト生活、東京での波乱の人生。岡山での超波乱の人生を通じて、参考になればお話にゆきましょう。みなさまが修学旅行で、来てくださいましたらかんげいします。つよく生き抜く信念と、汗を流す事、辛抱と忍耐。たくさんのの経験をかたりあえます。
 後輩の皆様は、これからの人生は自分で決めれます。頑張るだけです。最後まで成功は出ません、永遠の課題です!努力を楽しむ人生にしてください。ご健勝を祈念しています。がんばれ!
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by urashima77 | 2006-07-01 05:13